人生は魂の修行の場説。転職。
人生は魂の修行の場である、とはよく聞く話。え、聞いたことないって?きっとそういう人もいるでしょう。しかし、スピリチュアルなことに興味のある方ならきっと聞いたことがあるはずです。
私は、お二人の著書を読んだこともなく、少しだけスピリチュアルに興味を持っています。それは、私自身がちょっと不思議な体験を何度かしたり、目撃したことがあるからです。怖い体験はしたことがないですが、現在の科学では説明できないようないわゆる霊的な体験です。そのため、何らかの死後の世界は存在するのではないかと思っています。
スピリチュアル好きにとっては、もはや当たり前である「人生は魂の修行の場」説ですが、私は、これを結構信じています。そして、人生の中で与えられた課題を乗り越えるべきタイミングがあり、それを人は「試練」と呼んだりしてきたのではないかと。私にとっては、今が人生で幾つか現れる試練の時ではないかと思っています。
こんな記事を書いたのは、今日、とあるブログを読んだからです。そのブログには、転職というのは、魂の修行がある程度済んで、もう今の職場では学ぶべきことがありませんよ、となったときに、次の職場が用意されるのではないかという趣旨が書いてありました。もちろん、人によっては、新卒から定年までひとつの職場に勤めあげる人もいる訳ですから、すべての人に当てはまるわけではないでしょう。ただ、そのブログの主は、いざ転職するタイミングになった時に、なかなか決まらなかったかと思えば、とんとん拍子で次の職場が決まったりして、それは、やはり何らかの力が働いて、道を阻んだり、逆に進めたりされて、魂の修行にふさわしい職場へと導かれているのではないかと書いていたのです。
これについては、なるほどと思いました。私の前の仕事が、職種自体は興味があったのですが、業界については自分には向いていないと思っていて、半分嫌々勤めはじめたからです。しかし、自分では向いていない場に置かれたことで苦労もしましたが、学ぶべきことも多く、大きな成長が得られました。
前職は、私にとって初めての職場だったのですが、就職活動がうまくいっていない時期(というよりは、自信を失ってやる気のない時期)に、軽い気持ちで応募、そして、その後の面接、採用、初出社までが、あっという間に完了しました。良いご縁はとんとん拍子に進むとは言いますが、そういうことなのだと思います。前職について、私は自らが最も成長できる場へと不思議な力で導かれていたのかもしれません。
今、私は無職で求職中なのですが、決まりかけた仕事がダメになったり、不運なことがありました。しかし、その決まりかけた仕事は私が次にめぐり合う魂の修行の場として相応しくない職場だったので、そこへ行く道を阻まれたのかもしれません。決まるときは、すんなり決まる。ご縁のある職場には必ずめぐり合うはず、そう思いながら就職活動をしています。
うつになったら、まず確認してほしいこと。
人生設計はいつ狂うかわからない。人は未来を完璧に予想し、計画することなどできません。だから、万が一のために保険をかけて、将来の不測の事態に備える必要があるわけです。このことについて、少し考えなければいけない事態が、今、私に起きています。
私は、年明けから春にかけてうつ状態になり、現在、心療内科に通院しています。実は医療保険が一年以内に満期を迎える予定になっています。代わりの医療保険に加入する必要があるわけですが、ここでひとつ問題が生じました。どうやら心療内科への通院歴は、完治後も5年間は医療保険や生命保険への加入の制限になるということです。
まさに青天の霹靂です。この事実を知っていれば、通院する前に1週間でも1日でも待って、医療保険への加入をすべきでした。しかし、無知な私はそんな事実は知らず、何の気もなしに心療内科に予約を入れ、診察を受けたのです。
心療内科に通い始めたころの私は、睡眠もほとんど取れず、ご飯もほとんど喉を通らない状態でしたし、まともな判断力も失っていました。そのため、症状が緩和した今、振り返っても、通院を始めたこと自体は後悔もしていませんし、心療内科のお世話になっていなければ、今頃、骨と皮だけの廃人になっていたかもしれません。ただ、医療保険に予め入っておくべきだったとは思います。
つまり、私が言いたいのは、精神的に辛いとき、心療内科や精神科に頼ることは少しも悪いことではないですし、それで、最悪の事態を回避し、症状や人生が好転するのであれば、ぜひ診察を受けるべきです。ただ、もし心療内科や精神科に初めて通院するのであれば、そして、希死念慮が強いなど、その症状が一刻を争うほどのものでないのであれば、生命保険や医療保険の加入状況を確認してほしい、ということです。もし、うつやその他の精神疾患で悩んでいて、私と同じ状況にいる人がいれば、その人がこのページに辿りつき、不要な悩みをひとつ増やさなくていいようにと思い、この記事を書きました。
さて、自分はどうしたものか。既往歴を制限しない保険商品なら大丈夫とのインターネットの情報も見つけましたので、もうちょっと調べてみたいと思います。私の周りには、パニック障害や軽度のうつの人がいたりして、精神的な病は割と日常的にかかるものだと思っているのですが、そうした人たちはこの問題をどう解決してるのかしら。ナイーブな問題なので、聞くに聞けずにいます。
仕事を通じてファンをつくるということ。
今日は、お昼に心療内科へ行き、その帰りに銀行へ寄りました。お恥ずかしい話ですが、精神的に落ち込んでいたこの2ヶ月間、国民年金の振り込みを放置し、滞納していたのです。滞納分の2ヶ月と今月分を支払うために、銀行へ行ったのですが、窓口の女性の接客がなかなか素敵でした。
何が素敵だったかというと、接客中に「今日は、日差しが強くて大変ですね~。」と声をかけてくれたことです。何だそれだけのこと、と思った方もいるかもしれません。でも、私にはその女性がすごくプロフェッショナルで素敵に思えたのです。
私が整理券を片手に、ぼーっと待っている間も、彼女だけがテキパキと仕事をこなし、隣席の女性行員に指示をしたりしていました。いざ、私が呼ばれて振込手続きの用紙に記入している最中に「今日は日差しが強くて大変ですね~」と言われ、さらに帰り際に「暑いのでお気をつけてお帰りくださいね。」と言われ、私はちょっとだけ笑顔を返しました。たったこれだけ、5分もない時間なのですが、お昼過ぎのまったりした空気の中で、彼女だけが活き活きと輝いて見えたのです。
何気ない一言や笑顔が、またこのお店に来ようかなと思わせてくれることがあります。そのお店の商品が良いわけではなく、その人がいるから買いに行くというような、そういう店員さんって、たまにいます。私には、このおばちゃんが、何人かいるそういう店員さんのひとりになりそうです。
販売にしても営業にしても、そういうファンを作れる人ってやっぱりすごいと私は思うのです。そして、そういう人は輝いてみえる。きっと幸せとか、楽しいっていうオーラを発しているし、月並みな言葉ですが、一生懸命さが伝わるんだと思うんです。だから、ファンがつく。そして、売上がついてくる。今は、無職ですが、仕事が決まったら、そういう仕事ができる人になりたいな、と思ってます。
日記を書く。自分を見つめることの大切さ。
前記事では、うつ病になった経緯を書きました。その後、4月になって通い始めた心療内科で抗うつ剤と睡眠薬(リフレックスとロゼレム)を処方され、症状は落ち着きました。はじめの2週間は、何も考えずに身体と精神を休めることにしました。もともと重度ではないためか、この2週間で症状は劇的に改善し、夜も眠れ、食欲もありすぎるほどに出てきました。しかし、心の中では、すぐに就職活動を再開しなければという思いがあり、治療開始後、3週間目に履歴書を送付し、4週目には面接も受けました。この面接がよくなかったのか、薬の効果が頭打ちになったのか、4月末には、また無気力で不安に襲われる日々がやってきました。それに伴い、食欲も落ち、手の震えや動機、発熱といった自律神経の症状も復活しました。
自分でもこれ以上、薬に頼りたくないという気持ちが強く、また、心療内科の予約も2週間後だったため、自力で精神を改善させる方法を模索しました。ネットで検索したり、本を読んでみたりして探す中で、三行日記というものがよさそうだと思い、始めてみました。一行目にその日の嫌なことを、二行目にその日の良かったことを、三行目に翌日の目標を書くというものです。はじめの10日間は、さっぱりでした。しかし、2週間続けてみると、少しずつではありますが、症状が改善されてきました。途中から、三行日記に、「幸せだから、成功するの?引き寄せの法則について。」で書いた「引き寄せの法則」の未来日記やショーン・エイカー氏の提言する感謝日記の要素を付け加えたのもよかったのかもしれません。
日記を書き始めて良かったのは、次の三つです。ひとつは、周りへの感謝の気持ちが生まれたということ。これは、三行日記の成果というよりも、引き寄せの法則と感謝日記のおかげです。でも、これが一番、心にプラスな影響を与えてくれました。ふたつめは、プラスの考え方のくせができ始めたこと。うつ状態で一人でいると、様々な負の考えが頭に浮かんできます。自分はダメ人間だとか、嫌われてるとか、ひどい時だと希死念慮が出てきます。しかし、三行日記では、悪いこと、嫌なことを書いた後に、必ず良いこと楽しいことを書きます。そうすると、自動的に、悪いことを打ち消すように良いことを思い浮かべることになります。そして、三つめは、自分本来の姿を見つめる機会ができたこと。嫌なこと、良いことは、自分がどう感じたかということが基準です。読み返してみると、考え方のくせだったり、何を大切に思っているのか、ということが少しずつ見えてきます。普段の生活の中で、他人との比較や世間体を考えてないがしろにしてきた部分が浮かび上がり、自分をもっと大切にしようという気持ちが沸き上がってきました。
精神が好転してきたのは、日記を書き始めてちょうど二週間後です。でも、その二週間はひどい心理状態でした。人と話もしたくないし、テレビや車のエンジン音もうるさくて仕方がない、不安感から身の置き方がわからず、部屋をぐるぐる回ったりもしました。暗い部屋にこもったかと思えば、太陽の光を浴びたくなり、外に出て何時間もぼーっとしたりしました。そんな状態が二週間続いて、ある日、ふと心が軽くなりました。もちろん、その後も、気分の浮き沈みはありますし、今も不安感は残っていますが、ずっと症状がよくなったのです。私には日記を書くという方法が合っているようで、うつ病が良くなってからも続けようと思っています。うつになったそもそもの始まりは、食欲がなかったり、睡眠時間が短くなったり、変なテンションだったりといった小さな変化に、自分で気付けなかったからです。日記を書くことで、心身の微妙な変化に気づき、メンタルの不調を予防することも可能なのかなと思っています。
知らぬ間にうつ状態に。
あれ、なんか落ち込み方が尋常じゃない、と気が付き始めてから、4ヶ月になります。今年の1月あたりから食欲が少しずつ落ち始め、夜も眠れなくなっていました。その時は、無職でずっと家にいたし、運動量が減っているから、食欲も落ちて、眠れなくなっても当たり前だと思っていました。それから、1ヶ月後には、食欲がまったくなくなり、夜も朝の3時ごろにやっとうとうとして、2~3時間でまた目が覚める、という感じでした。このころには、手足が震え、いてもたってもいられない不安感にさいなまれていました。体重がぐんぐん減り始めていましたが、仕事が決まればすべて解決すると思い、病院には行きませんでした。
3月末に、内々定を2社からいただきました。A社に、来月から働かせていただきたい旨のお返事の電話をしました。そして、そのすぐ後、B社にお断りの返事のお電話をしました。今、思えば、A社での電話口での様子に違和感があったので、B社への返事を少し待つべきでした。数時間後、A社は、今どきそんなことで、という理由で内定を留保してきました。私は、友人や家族とも相談し、A社で働いても肩身が狭く辛い思いをするだけだからと、お断りすることにしました。せっかく内々定をいただいた2社ともを自ら蹴る形で、無職期間はさらに先延ばしとなりました。
4月に入ると、気候はますます陽気になり、草花が芽吹いてきます。テレビでは、「新入社員が~」や「お花見が~」というニュースが流れ、自分の惨めさを増長させるようでした。季節が移り替わると、時間の流れを感じさせます。無職期間が長くなることによって心象が悪くなり、ますます内定をもらえなくなるのではという不安が募っていきました。手足は震え、動悸が止まらず、吐き気がして、不安やイライラや恐怖、形容できない種々様々な負の感情が沸き上がり、発狂するような気がしました。でも、そんな気力も体力も残されていなかったのです。もう限界でした。この世からそっと消え去りたい気分でした。私は、4月のはじめに心療内科に電話を入れ、通院を始めました。
うつになった原因は何だったのか。転職に失敗してはいけないというプレッシャーだったのかもしれません。私には周りの期待に応えようとするところがあります。見栄っ張りでプライドが高くて、弱さを見せるのが怖い人間です。失敗を極度に恐れる完璧主義的傾向が、こうした結果を生んだのだと思います。そして、私は自分では怠け者だと思っていたのですが、働くことが好きだったということにも気が付きました。私は、働くことで社会に貢献しているということに自分の価値を見出していたのだと思います。だから、何もしていない今の自分が許せないのです。
退職してからの数ヶ月、私は自分を追い込み、階段を全速力で駆け下りていることに気が付きませんでした。どこかで、立ち止まっていたら、こんな風になることもなかったのかな、とも思います。しかし、過ぎ去ったことを後悔しても仕方のないことです。今の状態になったことは必然であり、自分を見つめる時間を与えてもらったのだと考えています。
幸せだから、成功するの?引き寄せの法則について。
最近、引き寄せの法則について知りました。落ち込んでいるときに、友人が教えてくれたもので、願えば叶うとか、思考は現実化するとかいう表現で端的に表している人もいるみたいです。自分の感情や思考と同じ波動のものを引き寄せるという法則で、宇宙をつかさどる不変的なルールらしいです。
例えば、ケーキが食べたいなと願えば、友達がケーキを持って遊びに来た=ケーキを食べたいという思考の波動がケーキを引き寄せる、という感じです。スピリチュアル系なので、ちょっと胡散臭いなとは思うのですが、バカにできない考え方だと、私は思っています。実際、引き寄せの法則を調べて実践し始めてから、うつ病からくるマイナス思考から解き放たれて、症状自体も改善してきています。私には、うつの認知の歪みを意識するよりも、こちらを意識する方がずっとわかりやすいし、スムーズに自分の中で実践できている感じがしました。
引き寄せの法則では、自分の思考や願望と同じ波動のものを引き寄せてしまうので、ネガティブな感情や思考をすれば、そうした必要のないものも引き寄せてしまいます。そのため、ネガティブな思考や発想はせずに、プラスの感情や思考をすることが大切なようです。個人的には、この思考や発想をポジティブにする、わくわくすることや楽しいことを思い浮かべるというところが肝で、感情がうつの状態に傾くのを止めてくれている気がしています。何なら、何かいいことがありそうな予感さえ与えてくれます。
個人的な実感からのおすすめですが、うつ気味でスピリチュアルが好きでないという人でも、軽い気持ちで試してみる価値があるのではないかな、と思っています。というのも、言っていること、やっていることは、下のTEDの動画と同じことだからです。引き寄せの法則は眉唾ものだと思っている方も、データに基づくプレゼンテーションを見れば、モチベーションが上がるかもしれません。そして、この動画で私が気づきを与えられたのが次の事実です。成功すれば幸せになれるという思い込みが、幸せを追いかけ努力し、達成できたとなるとさらに幸せを遠のかせ、努力し…という無限ループに陥るのだそうです。当たり前と言えば、当たり前ですが、当の本人は必至だから気が付かないものです。これは、まさに一年前までの私でした。努力している=ポジティブな姿勢、と思っていたのです。でも、それは幸せではなかったのですね。手の届かない幸せにむかって目いっぱい腕を伸ばしては、疲れていただけだったのかもしれません。
この動画に加えてもうひとつ、私に気づきを与えてくれたものがありました。Yahoo知恵袋で、引き寄せの法則の達人とされているbiospark2525さんの回答です。20代女性の仕事についての相談への回答に、胸をつかれました。一部抜粋しておきます。
purpleple70さん
仕事について、引き寄せの法則の観点から相談です。甘ったれの20代女です。一応正社員で働いていますが、この会社で働き続けることを覚悟するかどうか迷っています。 ~中略~ よく、仕事の意味を分かっていない・甘い・子どもだと言われます。いつもいつも仕事を辞めて引きこもりたいと思ってしまうので、働くのならポジティブに働きたいのですが・・・。根本的に楽して生きたいと思う反面、それではつまらないのかな、と疑問を抱いています。
我慢をして働いた報酬としてお金がもらえることが仕事だ、だから辛い思いをして大変で、我慢をするのは当然だ、と会社のみんなは言います。私はその考えを受け入れきれずにいます。 ~中略~ もう働くかどうかということで悩むのは終わりにしたいのです。なんだかとても情けなくてお恥ずかしいのですが、どうか相談に乗っていただけるととても有難いです。
biospark2525さん
ぼくから見たら、あなたの感覚は甘いどころか、かなり自然で正常だと思います。仕事であれなんであれ、人はその人の信じていることを経験します。
「我慢しながらやっとのことで生活費を得るのが仕事だ」と信じている人は、我慢しながらやっとのことでなんとか生活費程度のお金を得るでしょう。
「苦しくても無理をしてでもあきらめずにがんばれば必ず成功する」と信じている人は、いろいろと波乱万丈を乗り越えてついに成功するでしょう。
「努力とか頑張りとかではなく、自分が素直に楽しいと感じたりわくわくすることやっていれば自然とうまくいくもんだ」と信じている人は、仕事を楽しみながら、生き生きと働いて、楽しくて仕方ないと言いながら成功するでしょう。
「働いても働いてもお金は足りない」と信じている人は、いくら働いてもお金に困るでしょう。
仕事についての考え方に正しいも間違いもありません。唯一の正しい生き方、というものは存在しません。あるのはただ「どんな生き方を好むか」という好き嫌いだけです。自分で選べるのです。
仕事について、引き寄せの法則の観点から相談です。Yahoo!知恵袋
私は、仕事は面白いものだと思っていましたし、今もそう思っています。しかし、「苦しくても無理をしてでもあきらめずにがんばれば成功する」と信じている人でもあります。私は、もう一歩進んで、「努力とか頑張りとかではなく、自分が素直に楽しいと感じたりわくわくすることをやっていれば自然とうまくいくもんだ」と考えられる人間になりたいのです。半分はそう思っているけど、もう半分では疑っている自分がいます。努力が美徳であるという教育が身に沁みついている、というのもあるでしょうし、両親や祖父母が苦労している姿を見てきたから、というのもあるかもしれません。
「成功→幸せ」という考え方は心を消耗させるだけです。TEDのプレゼンテーションでショーン・エイカー氏が提唱するように、考え方のくせはトレーニングによって鍛えられます。早速、実践あるのみ。ということで、私は、数日前から日記にその日におきた感謝することを記しています。言うは易し、行うは難し。これからどうなるかは、お楽しみです。
はじめに。
まずは、現在の私の状況を説明します。31歳、女性、無職。うつ病で通院中です。無職期間はもうすぐ10ヶ月で、うつになったから仕事を辞めたわけではなく、無職期間が長くなり、求職活動のストレスから、発症しました。書いているだけで、胃がむかむかして、不安が押し寄せてくるような状況です。
ブログのタイトルは、「それでも夜が明ける」としました。うつになってからは、朝がとてもつらく、得も言われぬ不安感や焦燥感とともに目覚めます。つい最近までは、眠る前にこのまま永遠に夜が明けずに朝が来なければいいのに、と思いながら目を閉じていました。しかし、それでも夜は明け、朝はやってくるのです。
「それでも夜は明ける」は、2013年公開の映画の邦題です。原題は"12 years a slave"、白人に騙され奴隷として売られた主人公が、再び家族と再会するまでの苦難の日々を描いた映画です。(詳しくはこちら)どんなに逃れようと心はもがいても、生きている限り苦しみは続き、明日が来なければいいのにとさえ願っても、それでも夜は明け、苦しみは繰り返される。そんな絶望の心を代弁する「それでも夜は明ける」そして、苦難の日々にもやがて終わりが訪れ、希望の光が照らすという意味での「それでも夜は明ける」そんな二重の意味を含むタイトルが、今の自分の気持ちを表すのに、一番合っていると思い、ブログタイトルにお借りしました。(今の私の状況は映画の主人公に比べれば甘えたものではありますが。)
一年前、私はまさかうつ病になるとは思いもしませんでした。私は、働くことが大好きで、仕事が楽しかったのです。転職の理由は、自分が他でも通用するのか試してみたい、環境を変えてもっと刺激的な場所で働いてみたい、という思いでした。そこには、30歳を迎えたことでの焦りがあったと思います。ポジティブな意味での先述した理由もありましたが、まったく逆の安定した職に就きたいという思いもありました。今でも、本当の理由なんてわかりません。しかし、30歳になっても、女一人で生きていく覚悟ができるほど年収がいい訳でもなく、かと言って、結婚の予定があるわけでもない。とにかく何かを変えたかった、そんなもがきの結果としての退職だったのかもしれません。
それなりに評価された立場を捨てて勿体ないことをした、もっと冷静になって計画的に転職活動をすべきだった。そんな思いが、胸を去来することがあります。しかし、これでよかったのだと、私は思っています。うつ状態になって、自分と向き合う時間ができました。支えてくれる家族や友人への素直な感謝の気持ちが芽生えました。必要以上に頑張りすぎて、周りが見えず自分さえも見失っていたことに気が付きました。今は、まだ辛くとも、いつか日はのぼり、明るい日々がやってくる。このブログでは、今の状況から自由で幸せな生活を叶えるための道のりを綴っていこうと思っています。