場面緘黙症・うつを乗り越えて。30代からはじめる自由で幸せな生活への道

場面緘黙症だった頃。担任の先生。その2

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 私が場面緘黙症から抜け出せたのは、周りが緘黙症だからといって苛められたり卑屈になったりしないように気を使ってくれたこと、そして、勉強がわかるようになって自信がついたことが大きいです。一年生までの私は、授業中はひたすら窓の外を眺め続けるような子どもだったので、自ずと成績は讃嘆たるものでした。

 しかし、二年生になって担任の先生が変わったこと、授業に遅れていた私の勉強を何とかカバーするために母が公文に通わせてくれたことで、少しずつ勉強が楽しくなり、自信も出てきました。いつから人前でも話せるようになったのか、正直覚えていません。でも、クラスメイトと話ができるようになるより先に、授業で発言ができるようになったのが先でした。普通の子どもだったら、授業で発言するよりも友だちと話す方が楽なのに、不思議なことです。

 もっと不思議なのは、授業での発言はできるのに、初めのうちは教室で音読することができなかったことです。うまく音読できない子は、放課後に教室に残って教科書を10回読む様にと言われた時に、声の出ない私も一緒に残させられたことがありました。私を特別扱いすれば、それこそひいきになるので、仕方のないことでした。私は、放課後、先生もいなくなった教室に残り、声は出ないけど、口だけはその発音の形に動かして、教科書を読み始めました。すると、一緒に残された男子たちが近寄ってきて、「声が出てなきゃ、音読っていわないんだよ!」と言ってきました。しかし、私はそれを続けるしかありません。男子たちより先に帰ったら、音読しないのに帰ったと言われかねません。私は、涙が出そうになりながら、必死で10回も20回も心の中で読み続けました。家に帰れば、誰よりもうまく音読できるのに。そう思うと悔しくて、そして、自分よりも音読が下手な男子たちが自分を非難するのが怖くて、涙をこらえながら、口を動かし続けました。

 どうして、授業での発言はできるのに、音読したり、友だちと話せないのか。それは、きっと正解がない行為だからです。授業の発言には正解があります。はい、いいえ。2×2=4。でも、音読は上手いか下手。相対的な評価です。途中でつまづいたらどうしよう。イントネーションが変になったらどうしよう。そう思うと声が出なかったのかもしれません。友だちと会話するのも、こういったら嫌われるかも。変な奴だと思われるかも。そう思うと声が出ないのだと思います。

 場面緘黙症になる子どもたちの根底には、不安障害があるそうです。場面緘黙症の人は、リアクションが怖いのだと思います。嫌われる、攻撃されるという不安、不確定要素。授業での挙手発言には、これがありません。勉強ができる子であれば、確実に正解を答えることができるのですから、一度経験してしまえば、その後も正答をしっていれば、声を出し、発言ができるはずです。

 そんな訳で、私は授業での発言、音読、友だちとの会話の順に声が出るようになりました。授業での発言で一番初めに声を出したのは、いつだったのか、記憶があいまいで覚えていません。ただ、何かしらのきっかけがあったのだと思います。例えば、はい、いいえで答えられるような簡単な質問からだったのかもしれません。

 授業での発言ができるようになってからは、私も積極的に授業に参加するようになりました。そうすると、先生がとても喜んでくれました。にこにこ笑って、「はい、ととさん」と当ててくれました。私は、小さな声で答えを言い、それを先生が板書すると大きな丸を書いてくれました。私は、自分が正解してうれしいことよりも先生が喜んでくれることの方がもっと嬉しかったように思います。少しずつ人前で声が出せるようになったのは、8歳の頃。お友だちと話せるようになるには、まだもうちょっとかかります。


場面緘黙症だった頃。担任の先生。その1
場面緘黙症だった頃。担任の先生。その3

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