一人は泥を見た。一人は星を見た。
日が沈むと何故だか別人のようにポジティブな人間になります。きっとこっちの方が本当の自分。朝の自分は何者なのだろう。
夜も更けて21時を過ぎるとさらに気分は軽くなります。どうしたんだろう。気持ちが軽い。無職なんてどうでもいい。何とかなるさ!って気分になります。人って不思議ですね。
気分も軽くなってきたところで、本題に。私の思春期の人格形成に深い影響を与えた漫画作品があります。それは、「ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン」です。高校生の当時、週刊少年ジャンプで連載中でした。ジョジョシリーズの中で、唯一の女性主人公、ジョリーンがちょうど当時の私と同じ年代ということで、ジョジョにハマっていました。
私はジョジョの奇妙な冒険に熱を上げていたわけですが、独特の画風によりジョジョは当時のジャンプの中でもあまり人気のない部類、どちらかというとコアなファン向けの作品だったと思います。それは、私も十分に感じていて、クラスの中で大きな声でジョジョが好きとは言えない雰囲気がありました。当時はワンピースやナルトが連載をスタートさせて間もないころで、圧倒的にこちらの作品の方が人気があったのです。
しかし、私も誰かとジョジョの素晴らしさを共有したくなります。そこで、クラスの中でもアニオタ気味な女子に話をしてみました。「ねぇねぇ、ジャンプ読んでたよね。ジョジョって読んでる?」彼女は少し表情を曇らせてこう言いました。「ジョジョはちょっとね...。好きな人は好きみたいだけどね...。」彼女は、エヴァンゲリオンについて目を輝かせて話すようなオタクでした。今でこそ市民権を得ているエヴァも当時はアニオタの代名詞でした。しかし、ジョジョはそのアニオタにさえ拒否されていたのです。
ジャンプは弟が買っていたものでした。私自身は漫画がそこまで好きではありません。アニメもほぼ見ません。そんな私でしたので、当時は、エヴァにハマるようなオタクに対して偏見を持っていました。(今は偏見はありません。エヴァファンの皆様ごめんなさい。)しかし、そんなオタクにジョジョはやんわりと困り顔で否定されたのでした。
これ以降、私はアメトーークでジョジョ芸人によってジョジョが市民権を得始めるまで、ジョジョ好きを封印してしまいました。言ったら最後、変態だと思われかねない。難しいお年頃の高校生だった当時、そう誓ったのでした。
さて、前置きが長くなりました。本当に本題に入ります。「ジョジョの奇妙な冒険」は第一部から第六部まであります。そして、シリーズの最初と最後、第一部と第六部に、微妙に表現は違うものの、共通した一節の詩が出てきます。フレデリック・ラングブリッジの「不滅の詩」の一節です。
二人の囚人が鉄格子から外を見た。
一人は泥を見た。
一人は星を見た。
Two men look out through the same bars:
one sees the mud, and one the stars.
この詩を受けて、第六部の主人公、空条徐倫はこう言います。「私は星を見るわ」ジョジョの奇妙な冒険第六部のテーマは希望です。そして、たくましい精神力で、希望を捨てない徐倫の姿が第六部の見所です。思春期の頃の私は、この徐倫に自己投影し勇気づけられていました。今日、何となくそのことを思い出しました。星を見ることを忘れていないか、という潜在意識からのメッセージだったりして。
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