場面緘黙症・うつを乗り越えて。30代からはじめる自由で幸せな生活への道

発達障害も緘黙症も個性。

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 通院している心療内科の先生があっさりし過ぎて楽観的な性格だということを前に書きました。カウンセリングよりも薬が中心の医師だと思います。この先生に私が幼少期に場面緘黙症だったということを告げたことがありました。

 それを聞いた医師はキョトンとしました。私は、もしかして場面緘黙症を知らないのでは、と思いました。そして、一瞬の戸惑いの後に「あなたは、それでも特別学級とか特別学校に行ったわけじゃないんでしょ。学業も順調にきてるじゃない。大丈夫。心配し過ぎですよ。もし、そういうので何かあったら学会で発表されてるから。今は、発達障害がブームで、すごい研究されているんだけど、それだって私は個性だと思っている。あなたが声を出せなかったのも、引っ込み思案なだけで個性なんですよ。」と言いました。

 この先生、場面緘黙症を知らないか、知っててもほとんど知らないのだろうか。それとも、私の心配し過ぎる性格を見越して、こんなことを言っているのだろうか。またもや釈然としない気持ちを抱えながらも、まぁいいかと思い、診察室を後にしました。

 場面緘黙症や発達障害を抱えて、うまく学校生活や社会生活を送れない人がたくさんいます。それを個性と片付けていいものか、と思うのですが、社会が個性と認めるのであれば、それは個性になりうると思っています。ただ、当人、家族以外にとっては、場面緘黙症や発達障害の子どもたちは異端とみなされ、今の社会では差別され、苛めの対象となりやすいです。

 心療内科の医師が個性と言ったのは、あながち的外れなことではなくて、場面緘黙症や発達障害だけでなく、ろうあ者やその他の障碍者たちも含めて、差別の対象ではなく個性として認められる社会こそが、目指すべき社会なのだと思います。場面緘黙症の人たちは、声が出せない分、人一倍努力してきたはずです。実直な性格の人が多いはずです。声が出せないことに焦点がいきがちがですが、こうした面にも光が当たり、個性として輝ける日がきてほしいと思います。

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