それでも夜は明ける

場面緘黙症・うつを乗り越えて。30代からはじめる自由で幸せな生活への道

緘黙症の後遺症?頑張らないと受け入れられてもらえない。


 昨日は、どん底に落ちた気分でしたが、少し回復しました。今日は、朝の不快感も少しましです。昨日書いたブログを再度読み返してみて思ったのですが、改めて私は自己評価が低く、甘え下手な性格だと。「誰かに依存したくないという思いが人一倍強い」と書いていました。その通りです。弱みを見せるのが嫌い。いつも完璧、涼しい顔して生きていたい。

 でも、これってとても苦しい生き方です。最近、このことに気が付きました。ただ、わかってはいても、そこから脱することができません。自己評価が低く、ありのままの自分では、誰かに愛してもらえるはずがないと思っているからです。

 私は幼少期、場面緘黙症でした。場面緘黙症だったことで、気味悪がられ、幼稚園では苛められました。苛めても反論しないし、先生にチクることもできないから、ますます苛めれます。そうすると人が怖くなり、信じられなくなります。

 場面緘黙症で苛められなかったなんて人はおそらく皆無ではないでしょうか。普通にしているだけで苛められるのですから、自己評価は下がって当たり前です。愛される価値のない自分、声も出すこともできない惨めな自分。場面緘黙児たちは、そう思いながら、幼稚園や保育園や小学校で過ごしていると思います。

 愛されるにはどうしたらいいでしょうか。勇気を出して、努力して、声を発するしかありません。一度きっかけを得て、声が出るようになった後も、友だちになってもらうために、勇気を振り絞って挨拶したり、努力して会話の取っ掛かりを探したりします。誰かと仲良くなるためには、「努力あるのみ」なのです。

 そうして努力して人間関係を築けるようになった元場面緘黙症の大人たちは、その後も友人を作るには、恋人を作るには、努力が必要だと思い込んでいます。しかし、よくよく考えてみると、周りの人たちはいとも簡単に努力なんて必要なしに気軽に友達になったり、恋愛関係になったりしています。私はこんなに気を使って、努力して、我慢を重ねているのに!

 何だか長くなってしまいましたが、私が言いたいのは、場面緘黙症だった人は、人に対する恐怖心があり、それを乗り越える勇気が必要だったり、我慢や努力を重ねたりして、やっと場面緘黙症を克服し、人間関係を築けるようになったのだと思います。だから、誰かと仲良くなるには、受け入れられるには、愛される価値のある自分を作り上げる努力や我慢を積み重ねるものだと思い込んでいるところがあると思うのです。努力して初めて人間関係を築けた経験があるのだから、そう思わざるを得ません。

 私は、外ではめったに怒りません。いつもしっかり者で落ち着いていると言われます。でも、心の中ではいつも激しい感情の起伏に惑わされ、それをコントロールするのに必死です。ここで怒ったら嫌われる、とか思ってしまうのです。頑張らないと愛される価値のある自分でいられない。頑張らないと受け入れられない。こういった思い込みから脱することができれば、もっと楽に生きられるのに、と思うのです。

 「誰かに依存したくないという思いが人一倍強い」逆もまた然りです。私は、人並み以上に誰かに甘えたい、愛されたいという欲求が強いと思っています。世の中には好き勝手に生きて、それが魅力となり、愛されている人がたくさんいます。いつか自分の感情を解放してあんな風に生きてみたい。

うつになって。母に甘えたい。


 今朝も強い恐怖感で目覚めました。毎日、朝の4時か5時くらいに一度目を覚まします。その時は、不思議と不安感や焦燥感は薄いです。一度目を覚ますのですが、うつらうつらしながら、また二度寝に入ります。そうすると1時間後とか2時間後に、強い不安感が襲ってきて、恐怖で目が覚めます。ここ数日は、この不安感がとてつもなく、本当に恐怖感と表現した方が適切です。

 2週間前は、次の診療までに薬を減らせるようになるんじゃないかと思うくらいにうつが回復していました。ほぼ一日中不安を感じない日さえあったのです。それなのに、今はほぼ一日中不安に苛まれています。

 自分でもそんな事しても何にもならないとわかっているのに、昨日は嘔吐を繰り返していました。朝も昼も何も食べていないのに、吐けば気持ちがすっきりするような気がして、喉に指を突っ込んで吐いていました。吐けるものが胃の中にないので、結局吐き出せないのですが。

 もうひとつ自分でも病的だと思うのが、母に甘えたいという気持ちが強くなったことです。今朝も自室から出て、母に抱きしめてもらいたい一心で、母のそばにいました。母は仕事をしているので、バタバタとしていて、心配して声はかけてくれますが、それ以上のことはありません。生粋の日本人の家庭である我が家にはハグをする習慣などないので、自分から言い出さなければ、抱きしめてもらうことなどできません。

 30過ぎたいい大人が、あまりの辛さに母に甘えたいと思っているのです。うつになる前の自分なら、気持ち悪いと思うに違いないですが、本気でそう願っているのです。本当は夜も母に添い寝してもらいたいくらい心細いです。

 誰かに依存したくないという思いが人一倍強い人間だったのに、それが一度折れてしまうとこうなるものかと、自分でも情けなくなります。誰かに甘えたい、辛い気持ちを打ち明けたい。それが出来ずに、こうやってブログに書き綴っています。

場面緘黙症を知ったきっかけ。


 私が、「場面緘黙症」のことを知ったのは、『ザ!世界仰天ニュース』という日本テレビの番組を見たからです。4歳から10歳まで、私は家族以外の前で声を発することができずにいました。しかし、この症状に「場面緘黙症」という名前がついているとは、その時まで知りませんでした。

 番組が放送されたのは2013年の2月。私が場面緘黙症を克服してから10年近くが経った後のことです。信州かんもく相談室の代表者、長野大学の高木准教授によれば、場面緘黙症の発症率は0.2%ほど、500人に1人の割合です。私が通っていた小学校は全校生徒が600人弱でしたが、私のように声が出せない児童は、他にいなかったように記憶しています。そのくらい稀な症状の様です。

 発症する人が稀という事は、「場面緘黙症」を知っている人も少ないわけで、自分自身がそうであったにも関わらず、その症状を指す名前があったことを知らずに過ごしてきました。90年前後の当時、私に関わった教育関係者も場面緘黙症について知っていたのでしょうか。少なくとも親戚や近所の人など、周りにいた大人たちは知らなかったと思います。

 写真の女性は、カースティ・ヘイズルウッドさん。『ザ!世界仰天ニュース』で「静かな少女の秘密」として紹介された女性です。カースティさんも私と同じく、幼稚園への入園をきっかけに場面緘黙症となり、その後、克服され、モデルとして活躍、なんとミスイングランドにまで選ばれています。

 カースティさんが場面緘黙症を脱するきっかけとなったのは、家での様子を撮影したホームビデオを学校で流したこと。当時の私がそんなことされたら、もう学校へ行けなくなっていたかもしれません。でも、カースティさんは、それをきっかけに少しずつ場面緘黙症を乗り越えました。きっかけは人ぞれぞれ。いろんな人がいるのですね。

 まだまだ知られていない場面緘黙症ですが、カースティ・ヘイズルウッドさんのように場面緘黙症だったことを公表して、活躍される方が増えれば、理解が深まっていくのではないかと思います。私は、大人になってからの友人たちには、場面緘黙症だったことをほとんど話していません。話すきっかけがないというのが一番ですが、克服したものの場面緘黙症の後遺症とも言うべき感情(人に対する恐怖心)がまだ残っていて、そうした弱みを大勢の人に晒すことが出来ないのです。だから、言わなくてもいいことを公表して、場面緘黙症への理解を広める活動をしていることは、すごく立派だと思います。職業柄、それで売名できるというのもあるとは思いますが、それを差し引いても私にはとてもできません。ちなみに場面緘黙症は英語で"Selective Mutism"だそうです。カースティさん、頑張って!地球の反対側から応援しています。

カースティ・ヘイズルウッドさんのフェイスブックとツイッターはこちら。
Kirsty Heslewood (@KirstyRosex) | Twitter
Kirsty Heslewood, Miss England 2013 | Facebook
Kirsty Heslewood | Facebook

場面緘黙症だった頃。一歳上の姉。


 私には、一つ年上の姉がいます。誕生日は数日違いなので、私とはちょうど一歳違う姉です。物心ついた時から、おままごとをしたり、絵を描いたり、かくれんぼしたり、いつも一緒にいました。

 姉は、丸くて大きな目のくるくるしたくせっ毛がかわいい女の子でした。本人にとっては、コンプレックスのようでしたが、色白で外国人の様な見た目の姉は、子どもの私から見ても、とてもかわいく、自慢の姉でした。どこに行っても周りの大人たちは、みな姉を褒めるので、私は見た目に自信がなくなったくらいです。私は、髪の毛がまっすぐで、目も切れ長で、おかっぱ頭にしていたので、こけしのような風貌でした。

 かわいい姉でしたが、性格は気が強くて私はよく泣かされていました。「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。」ジャイアンの名台詞を地で行くような性格で、姉が買ってもらったおもちゃを貸してもらおうとしても、頑として貸してくれませんでした。そんな姉ですが、私と性格が似ているところもあって、外では大人しい内弁慶タイプだったりします。

 幼稚園に入ると、私は場面緘黙症になり、外では一言も声を発することが出来なくなりました。声を出さない変な子は、幼稚園のクラスですぐに苛めにあうようになります。周りを取り囲まれて悪口を言われたり、お絵かき帳にいたずら書きをされたりしました。「なんで話せないの!」「気持ち悪い!」子どもの言葉は、真っ直ぐで残酷です。私は泣いてしまいました。

 突然泣き出した子どもに気が付いた保育士の先生は、訳を訪ねますが、私は答えることができません。「泣いてばかりじゃダメじゃないの。赤ちゃんじゃないんだから、ちゃんと答えなさい。」そう言われても、声が出せないのです。伝えたいのに、伝えられないもどかしさで、ますます涙が止まらなくなりました。

 その様子を姉が遠くで見ていて、家に帰ってから姉に問い詰められました。私は「○○ちゃんたちが、私の悪口を言うの。」と答えました。「あぁ、あの釣り目の生意気な子ね!わかった。」そう言うと、翌日から、姉と姉の友だちが自由時間に私のクラスに来てくれるようになりました。再び私を取り囲んで悪口を言おうとすると、その間に入り、私を守ってくれました。

 また、私は先生と頷きでしか、お話ができませんでした。なので、先生がどうしても詳しく知りたいことがあると、姉を呼び出して、通訳をしてもらうことがありました。少し離れたところに行って、私はこそこそと姉に話を伝え、それを姉が先生に伝えます。そんな調子で、私の幼稚園での一年目は、姉に頼り切って過ごしました。

 姉には強情で意地悪なところがあって、私はいつも泣かされました。それでも、私は姉が大好きでいつもそばにいました。今でも、一番の親友は姉だと思っています。姉がこまっていたら、私は火の中でも飛び込んでいきます。姉に裏切られたとしても、私はそれでも姉を慕い続けます。大げさかもしれませんが、そのくらいに、私は幼少期に面倒を見てもらったことに恩義を感じています。

うつの焦燥感。


 数日前から、うつの症状が強く出始めました。一番ひどいのが不安感と焦燥感です。朝目覚めるときに胸が締め付けられるような感覚とともに、強い不安感に襲われます。これがとても不快なのです。暑くもないのに、汗をかいていることも多いです。

 数週間前までは、すごく調子が良くって、もう薬もいらなくなると思っていたのですが、そういうわけにもいかなそうです。3週間前にリフレックス45mgに加えて、サインバルタを飲み始めました。これが最悪で、飲み始めて3日後から、強い焦燥感と身体の火照り、胃の不快感が出てきました。身体的な副作用は耐えられたのですが、居ても立っても居られないような焦燥感に耐えられず、服用を中止しました。サインバルタに代わって、現在はレクサプロを飲んでいます。

 もしかして、この焦燥感と不安感は、レクサプロの副作用なのかな、と思ったりもするのですが、どうなんでしょう。就職活動の焦りも大きいような気もするので、何とも言えません。まだ症状が安定しないのに、就活をするのが良くないとはわかっているのですが、そういう訳にもいかず、面接に行ったりしています。

 主治医に相談するのが一番なのですが、レクサプロでもこういう副作用がでるのでしょうか。それと、朝起きてから昼過ぎくらいまでは、手足がふらふらして力が入らない時があります。めまいの手足バージョンのような感じで、ふわふわして自分の腕じゃないような気がします。これも薬の副作用なのか、それとも、うつから来る自律神経失調症の症状なのか、よくわからない症状です。

 4日前から焦燥感が強く、イライラしてとにかく何かしていないと不安な状態です。土日はやることがあったので、何とかしのげましたが、昨日、今日は何もすることがなく、このブログを書いたりしてました。今、昨日のブログの内容を見ると、大分混乱していたように感じます。昨日も今日も、20時を過ぎてやっと焦燥感と不安感から解き放たれて、気分が落ち着いてくるような状況です。とりあえず、朝と昼はほとんど食べられませんが、夕食も何とか食べられるし、睡眠も薬に頼ってはいますが十分にとれているので(相変わらず変な夢は見ますが)前に比べればよくなってきてると思うようにしています。