場面緘黙症だった。
私は、4歳から9歳くらいにかけての約5年間、場面緘黙症でした。場面緘黙症というのは、家族などとても親しい間柄の人たちだけの場面なら普通に話せるのに、そうじゃない場面、例えば、幼稚園や学校などでは、一言も言葉を発せないという症状のことです。(Wikipedia場面緘黙症)ただ単にシャイや人見知りというレベルではなく、外に出たら、全く声が出すことができなかったのです。
以前に、私は「ご縁について考える」というブログ記事の中で、大人しく病弱な子どもだったおかげで、幼稚園も小学校も優秀な先生が担任になってくれた、と書きました。正確にいえば、場面緘黙症で先生はもちろんクラスメイトともうまく意思疎通ができないせいでいじめられっ子な上に、ぜんそく持ちで入院したりする、とっても面倒で厄介払いされても当然な子どもだったのです。事実、小学校一年生の担任教諭は、母に養護学校への転校を進めたそうです。しかし、そうした提案をした先生はその方だけで、幼稚園と小学校二年以降の担任の先生たちは、強い使命感によって私を受け持ってくれたようです。
私が、場面緘黙症になったのは、幼稚園の入園式の日でした。私は、両親が共働きで日中は祖父母に面倒を見てもらっていたのですが、祖母がかわいい孫と一緒に過ごす時間が短くなるのは寂しいという理由で、本来年少から入園するところを年中から入園しました。もうこの時点で、察しのよい読者なら私が過保護に養育されたであろうことを予想したはずです。実際その通りで、過保護に育てれらた上に、すでに一年前から園児同志の人間関係ができている中に放り込まれた私は、緊張と怯えから声を発することができなくなったのです。
私は、今でもはっきりと、入園式で名前を呼ばれた時に誰よりも元気よく大きな声で「お返事」ができたことを憶えています。それにも関わらず、その後、お遊戯室から小さな教室に通され、自己紹介を促された瞬間から先、卒園式まで声を出すことができませんでした。他の園児たちから一斉に自分に向けられた視線に恐怖を感じ、声が出せなかったのがきっかけ場面緘黙症になりました。入園式までの私は、運動神経は悪いものの活発でお転婆な子どもでした。しかし、入園式の後の私は、物静かな誰とも打ち解けられない子どもになってしまったのです。
耳は聞こえていて、理解できているようなのに、リアクションもほとんどなく、声を発さない子どもというのは、同じ子どもから見て、異質で気味が悪かっただろうな、と今では思います。幼稚園では、当たり前のように苛められ、その理由も先生に言えず、ただ涙を流したりしていました。友達もほとんどできず、私は自由時間のほとんどをひらがなで書かれた図鑑や絵本を眺めて過ごすことが多かったように思います。
小学校に入ってからも、相変わらずで、転機は二年生になって担任の先生が変わった時に起きました。小学校一年生の担任は、定年間近のベテランの女の先生で、私が言葉を発さないこと、そして、授業にまったく関心がなく、ひたすら窓の外を眺め続けていることに限界を感じたらしく、二年生からは特別養護学校へ転校したらどうかと薦めてきたそうです。母は非常にショックを受けたそうですが、二年生になるときに担任の先生が変わり、若くてやる気に満ちあふれたその先生は、「私に任せればきっと大丈夫」と太鼓判を押し、私はぎりぎりのところで転校を免れました。
緘黙症がそれほど世間で認知されていなかった当時、もしかしたらベテランの先生とは逆に、若い先生の方が緘黙症についての知識を持っていて、その差がこうした結果になったのかな、とも思います。だからといって、一概にベテランの先生が無知でやる気がなかったとは批判できず、私が無気力で、反抗的な態度をとっていたのも事実ではあります。他にも忘れ物が多かったり、遅刻癖があったり、ADHDないし、ADDだった可能性もあると思います。母は、絶対に発達障害ではなかったと言ってはいますが。
そんなこんなで二年生になってからは、無気力で集中力のない私に新しい先生は、手取り足取り教えてくれて、私の成績は少しずつ良くなっていきました。ついでに、公文に通い始めたことも大きかったと思います。公文の先生も優しくて、集中力がなくて声も出せない生徒に根気強く接してくれました。本当に頭が上がらないくらい感謝しています。
私に少しずつ自信がついてきたこと、そして、担任の先生の計らいで、私が苛められず、むしろ気を使ってクラスメイトが接してくれるようになったことで、私は四年生頃には授業中であれば、声が出るようになっていました。その頃には、私はクラスでも上から数えて数人の頭のいい子になっていて、授業で答える分には、「間違えない=恥をかいたり、批判されない」という安心感があったのだと思います。その後も、少しずつ積極性ができて、五年生の頃には、クラスメイトとも話ができるようになり、大人しいけど普通の子レベルになりました。
その後も人間関係を築くのが苦手で、学生時代は一人でいたりすることも多かったのですが、荒治療とも言える企業に就職したおかげで、友人も増え、まともなコミュニケーションが取れるようなりました。今は、プライベートでは内向的でおとなしい人ではあるけれども、仕事となれば積極的に人と関わることのできる人になりました。ただ、緘黙症の頃の後遺症が全くないとなると嘘になると思います。今でも、対人恐怖はありますし、今回、うつになったのも無関係ではないと思っています。
そうかといって、場面緘黙症が私の人生にとって悪いものしかもたらさなかったかと言われれば、そんなことはないと思います。私が特殊な子どもだった事で、両親、親戚、近所の人、教師など、私を取り巻く大人たちのほとんどが、私に注意を払い、見守ってくれたことで、普通の子よりも大きな愛を感じて育つことができたと思っています。人生のある一点まで、私は世の中の人はみんな自分を嘲笑したり攻撃してくるのではないか、という恐れを抱いていましたが、今では、世の中の人は基本的には好意をもって接してくれると思えるようになりました。傷つくことが多かったおかげで、他人の痛みを理解することもできるようになりました。もし、場面緘黙で悩んだり、苦しい思いをしている人がいるのなら、そして、場面緘黙の子を持つ親御さんで心配が絶えないという方がいるのなら、そんなに悪いことだらけでもないんじゃないかな、と伝えたいのです。