場面緘黙症・うつを乗り越えて。30代からはじめる自由で幸せな生活への道

ご縁について考える。


 袖すりあうも多生の縁、ということわざがあります。町ですれ違い様に袖が触れ合うような関係でも、前世からの何らかのご縁がある、という意味です。10代や20代前半の若いころは、「ご縁」という言葉には何ら興味がなく、年寄くさい言葉とすら感じていたのですが、私も年をとったのでしょうか、この「ご縁」について考えるようになりました。

 学生から社会人になり、仕事を始めるようになると、直接だったり、電話だったりで、毎日、違う人と出会うようになりました。気の合う人もいれば、そうじゃない人もいるし、良い人もいれば、そうじゃない人もいます。嫌いな人とでもある程度、我慢してでも付き合わなければならないことが、学生時代と社会人になってからの大きな違いでしょうか。

 しかし、悪いことだけではなく、やはり仕事を通じてでしか出会えなかったご縁というものも感じるのです。私は、社会人になってから、年上の友人がたくさんできました。中には、私の両親と同じくらいの年の人もいます。年上の友人たちは、私を子ども扱いしたり、後輩扱いしたりせず、対等に扱ってくれ、悩みを打ち明けあったりしています。私にとっては、かけがえのない大切な友人であり、彼ら、彼女たちの生き方をとても尊敬しています。

 ご縁には、良縁と悪縁がありますが、私は基本的には良いご縁に恵まれていると思っています。私は、だいたいラッキーで、良い運の巡り会わせの中で生きてきたような気がするのです。私は、お金持ちの良家に生まれたわけではありません。小さいころには小児ぜんそくに苦しみ、大人しい性格のせいでいじめられたりもしました。

 しかし、私は祖父母が一生懸命働いて建てた家で育ち、今も暮らしています。祖父母の夢と思いが詰まった家で暮らすことは、とても幸せなことです。小さくて古い家ですが、家族との距離が近く、楽しい毎日を過ごしています。また、大人しく病弱な子どもだったおかげで、小学校や幼稚園の担任の先生に恵まれました。担任の先生たちは、私を放っておけないという理由で、私の担任になってくれたのでした。厄介な子どもを進んで受け持つくらいですから、責任感が強く、優秀な先生たちだったのです。

 そして、優秀な先生によって、他の児童よりも人一倍目をかけられていたので、小学校高学年の頃には、クラスでも頭のいい子になっていました。先生が私をひいきしている、というクラスメイトもいましたが、私にとっては救世主で彼女たちがいなければ、どうなっていたかわかりません。本当に運がよく、いい先生に巡りあったと思います。

 ただ、私はこんなに良いご縁に恵まれたのに、つい最近までご縁を年寄臭いなどと嫌厭していたのも事実です。ご縁や運には、前世から続くものや先祖から受け継いだ徳によってもたらされるものがあるそうです。おそらく、私はこうした蓄えられた徳がもたらしたご縁によって救われてきたのです。私は、漫然と構えているだけでも、運が良かったので、それが希少で大切なものであることに気が付けなかったのかもしれません。そして、30歳になって、少しずつ自分の行いによって紡がれたご縁も巡ってくるようになり、その大切さに気づき始めたのかな、と思っています。